春というより夏の気温ですでに汗だくになっている。昨日は合唱の指揮者の先生が普段受け持っている中学生の部活動の発表会を見て来た。若いってだけで、すごいものだなと思う。合唱をやっている人として見てしまうので、どうしても感想が辛くなってしまうが、3年間にも満たない短い時間の中で、熱心に頑張っていたのだろうと思うと、別の視点で見えて来る。昨年も見て来たが、その頃まだ2年生だったときと今とは全然違う。若いときの成長というのは早くて目覚ましいものだなぁ。歌を歌っている姿のみならず、こうやって成長して行くのか。たまたま見た数人の生徒のたった一年後を見ていただけだが、感心してしまった。
そんなことがあった昨日の今日で、若い人の成長をまた目の当たりにした。今日はボランティアの会議の後、役所に寄ってまたボランティア仲間の話し合いに戻ったが、今回は参加しなくても良さそうだったので自分はさっさと抜けて歩いていた。その直後、どこからか自分を呼ぶ声がする。信号待ちしていた車の中から声がしたので見てみると、若い女の子である。
誰だっけ?こんにちは。声をかけると、マスクを外してくれた。マスクを外した表情がにこやかで柔らかい、しっかりした顔。誰だっけ?と思わず声に出したら、名前を名乗ってくれた。名前を聞いて思い出した。表情と結びつかなかったが、以前自分が若者支援をしていた場所で出会った子であった。
助手席には小さな子どもがいた。しかも自分で車を運転している。おおぅ。以前支援場所から離れて、暫く様子がわからず消息がつかめていなかった若者である。支援場所で一緒に過ごしていた頃とは全く違う表情だったので、自分は名前を言われるまで全く分からずにいた。重度の病気も抱えていつも深刻な状況で、人を信用したいが信用出来ずにいて、何か人と関わることに面倒臭さがあると体調悪くて青い顔しながらも大人に向けて「イイ子」のポーズを取るのが上手な若者。それが一児のママになり、自分の運転する車から自分ににこやかに声をかけて来たとは。
信号待ちをしているほんの数秒の時間だった。車の中から咄嗟に外にいる人に声をかけられるようになったことも驚きだ。自信がついたのだろう。元気そうにしている様子。元気にしているんだね、おめでとう。おめでとう。そんな言葉が口から出ていた。子どもが生まれたこと、自身で車を運転していること、人に声をかける自信がついたこと、顔を見ても誰だかわからないくらい元気で生き生きとした表情をしていること・・・に対して、おめでとうだ。ほんの数秒だったけれど、出会って別れた。
連絡先も交換するわけでもなく、ただ一瞬元気でいることを伝え合っただけだ。それでも、ものすごい喜びの感情で胸がいっぱいになって、高揚して興奮して、自分の胸に手を当てて、気持ちを抑えようと思ったけれど無理だった。暫く歩き続けた。
少しすると、今度はありがとう、ありがとう、という言葉が出て来た。彼女は今も生きて元気に暮らしているのだ。歩いている間、どうしても涙がじんわり出て来た。誰かにまた会ったら、花粉のせいで涙が出ていることにしよう。涙は流してしまえ。幸せを感じていることというのは自分は結構大変なのだ。まだ歩いてしまうな。
では今日はこのへんで。