寝不足となる。昨夜ボランティア仲間の送別会のようなものを開催して、久しぶりにお酒を飲んだ。飲むと眠れなくなるので、少々覚悟のようなものもあった。この仲間内で近所で飲むのなら飲んでもいいかなと思えて飲んで帰って来た。予約していた2時間はとっくに過ぎていたが、お店のご厚意でさらに2時間ほど居座って、帰りはかなり遅い時間になってしまった。
お店はみんなが気になっていた居酒屋である。金額も少々高い気もしたが、飲むのも食べるのもお腹いっぱい。お店の音楽も予約した人が年齢を言ったせいなのか、なぜか90年代前後の音楽がずっと流れていた。それぞれ年齢が違うけれど、「あっ、知ってる。懐かしいね。」とその頃の話にも花が咲いた。仲間のそれぞれが過去や現在においてドラマが書けそうな人生で、いろいろあるにもかかわらず、和気あいあい、何の会だったか忘れるくらい笑う会であった。そこにいた仲間の内半数が今いるボランティア団体を抜けて行くのだが、また機会を作って会いたいなと思う。「もっと前に会えたら良かったのに」と言った一人からメールが来ていたが、せっかく今出会ったのだからこれからも付き合って行けばいいのだ。人が好きな仲間ばかり。昭和の人だからか?かもしれないね。
帰宅すると、やはり眠れない。お酒はそれほど飲んでいないのだが、寝付くのに時間がかかりそうだ。どうせ眠れないだろうからと手紙をくれた友人のことを思い出して、夜中に手紙を書いた。きっと変な文字と変な内容である。真夜中に書いた手紙など、相手にも真夜中に読んでもらわなくては。もう封はしてしまったし、切手も貼ってしまった。もう一度読み返したら書き直してしまいそうだし、後戻りなどしないで、このまま出すつもりだ。相手が手紙を読んで「おい、どうしたんだコイツ。」と思って、後で笑い話になるのもいい。赤面するより、どうか笑ってくれ~。
昭和のどの時代でも生きて来た人たちは結構生きる力が強いんだって、という話を聞いた。まぁ、校内暴力が全盛期とバブル絶頂期のお祭り騒ぎ、そして急激に経済活動が崩壊した就職氷河期も過ごして来た。どこもかしこも目まぐるしい変化があった時期である。自分は別に器用に上手く生きられた感じもしないけれど、今こうして生きているのだから、生き延びたのは確かかもしれないなと思う。途中でいろんなことがどうしようもなくなって自死を選んだ人もいた中、ただ生きて来た。そう、ただただ生きて来ただけ。
価値観がガラッと変わるということがあったかもしれない。常に思っていたことが壊されて、次の瞬間通用しない。そういうことに対して、上手に変容して生きて来たわけではないなぁ。どちらかというと、ただ常にボロボロである。格好の良い自分なんてきっといなかっただろう。けれど、生き延びたことによって、楽しくなって来たゾと思える今を得ることが出来た。その程度である。ほんのちょっと長く生きて、死ぬのを先延ばしして生きて来た結果、ああ、こんなに穏やかで楽しい時期もあるんだなぁと思えた。やっぱり生きたもん勝ちかもしれないな。
ほんの少し「あの漫画の続きが見たい」とか、「もう一度あのケーキを食べたい」とか、そんな程度のことで生き延びて来たようなもの。自分に残る小さな小さな○○したいという欲望を拾っては、「もう駄目だ」という気持ちに決着をつけずにダラダラと先延ばしして生きて来たのだろう。全部ダメとか全部イヤだなんて、自信を持って言い切れなかったしなぁ。わざわざ自分から動いて死ぬことさえ、すごく面倒。その面倒くさがりが自分の生き延びる秘訣みたいなもので、自分を生かし続けている。行動力と積極性は仇になるんだよねぇ。まぁ、方向性が良ければ違うことがたくさん出来るんだろう。もったいない。亡くなって行った周りを見ていて、何度そう思ったことだろう。
年度末でいろんなことが変わる季節。いろんなことを面倒くさいなと思って、みんなゴロゴロしていましょうよォ。きっとそのうち桜も咲いて、花見も出来る。ぼけーっとしていたら、良い花の香りがしてくる。周りがすごい速さで変化して、ボケボケした自分を置いて行ってくれる。さて、悠々と取り残されよう。
では今日はこのへんで。