誰も知らないところで今日も、また。

自分のピアノ発表会の動画が送られて来た。一度だけ聞く。自分の演奏の音源はいつものことであるが、音がものすごく小さい。音量を上げて聞いてみた。自分の演奏がダメな部分もあるけれど、後半に向かって行き、ホッとする。前半には迷いが漂っているのでハラハラするが、演奏者の気持ちとは裏腹に演奏そのものにはブレはあまり出ていなかったように思う。先生の行った通りである。緊張していると言われて、聞きながらよくよく見ないとわからないとのこと。演奏者の中身とは関係なく、演奏がある程度まとまって来たんだなと思う。それが上手になって来たことを意味してるのかもなぁ。「どんな精神状態でも演奏がブレない」というのは、またひとつ自分の中で目標を達成しているなぁ。ははは。そんな目標を立てた覚えもないのだが。けれど、自分を外から見ていて、「外側」が大丈夫な姿ならOKだろう。十分だ。

若い頃は外側で他人から見られている自分と中身の自分のギャップを埋めようとしていた気がする。そんなの無理なのだ、と気が付いたのは大分年を経た頃。外と内が違うことについて、若いときはなぜか他人に悪いような気がしていた。正直が誠実とは限らないのに。今はどっちでもいい。人が10人いたら10人違うように見えていることに実感として気が付いてからは、無駄な努力をしなくなった。他人から見える自分の見え方などをコントロール出来るわけがない。他人を惑わす…くらいは出来るのかもしれないが。自分の心情としてあんまり意味無いよな。

人からどう思われるかというのは少しだけ気にする程度でいいのだろう。過剰になって、自分自身が何者だったかわからなくなるほど他人の視点に合わせていたら、人生を乗っ取られ続けられる感じだ。それに他人から見える「イイ感じの自分」を固定するようなことをしたら、ものすごく小さな自分になってしまうだろうと思う。誰かたった一人かもしれない感じ方だけを受け入れて、他は全部ダメ、と拒絶しているようなものだ。自分の感じ方さえも潰してしまうのと同時にあらゆる人の感じ方さえも否定してしまうような。そんなことに費やしてしまっていた若い頃の自分はバカだったなぁ。

なんて、今演奏している自分の姿を見ていて思う。まぁ、良い評価を得られるということは人が生きるときに多少は必要なのかもしれないが、今の自分の感じ方を考えると、本当にどうでもいいなと思う。人の数だけ絶対というものがあって、結局共通のものはない。それを全部追って行くのは馬鹿馬鹿しい。自分だけの絶対はあるけれどネ。他の人の絶対!みたいなものはどうでも良くて、自分だけのイイね♡でいいのだ。

自己満足?でもいい。一人よがりもいい。誰かが「うひょ~!」って喜んでいるよりも、自分がハイになるほど喜べたら最高じゃないのか?今回の発表会の演奏の中で、「この音イイでしょ」と言っている感じは伝わって来た。自分はコレが美しいのだ、と伝えている演奏。かつて偉大なピアニストが言っていた言葉を自分もほんの少し理解し始めているようだ。

では今日はこのへんで。