ボランティアをやっている年上のご婦人が、「ああいうのが嫌なのよ。」とその場をサラッと去る。自分もその姿を見て、今日はイイかなと会議の後のランチを付き合わずに帰宅した。ご婦人が嫌なのは、話の中で言い合いになっている様子と捉えた場面。ほんの少しだけ熱が入る人同士で話をしていると、声が大きくなり、尖った物の言い方になっているせいか、まるで喧嘩のようである。まぁ、喧嘩しているみたい、というだけでも気分のイイものではないのだよネ。
今後も付き合いが続くとか、同じボランティアの団体で長く続けるのなら、仲裁にも入るかもしれないが、そうでなければ嫌だなと思う場から去れるものなら去ればいいのだ。随分あっさりした感じで、自分は感心してしまった。彼女はもうあと一年位続けたら辞めるつもりでいると言う。何度か言っても伝わらない、上の人が変わらないから、言っても仕方ないなと諦めたとのことだった。言い合いになるほど熱量もないようだ。
誰かが言葉を出さず黙り始めるときというのは、諦めであり、その場を去る直前であることを示す。文句も言わなくなったら、そこでの関係は終わりである。人付き合いが上手な人ほど、自分の引き際のようなものをはっきりわかっているのだろう。我慢などしない。聞きたくない言葉を発するいざこざなどの空気が出ている場からはスルッと離れて行く。ああ、それでいいんだぁ。関わって頑張れるならそれもいいけれど、無理に嫌な場面に付き合うことばかりが良いわけではないなと思った。
そんな彼女が一緒に帰る途中で、信号の近くの椅子に腰を下ろした後姿のご婦人二人を発見。声をかけていた。話始めて、暫くすると自分にも声をかけて来る。寄って見てお名前を伺うと、少し前までいろんなところでお見かけしていた町内会のご婦人二人だった。ご病気で手術をして暫く外に出ていなかったようで、体については不自由もあるようだが、以前と同じなのは止まらない気さくなおしゃべりだろう。一人はもう一人の病院に付き添いに行っていたそうだ。近所の友人同士で助け合って生活をしているのだ。自分が町内の運動会等に顔を出していたことをよく覚えていて、自分よりも相手の方が記憶がいい。結局その場で30分ほど話して帰宅した。
ちょうど年度末で、町内会もいろんな引継ぎがあり、担い手がいないことで今ももめているらしい。ご婦人たちからそんな話を耳にした。ご婦人たちは夫婦共に長い間町内会の運営に携わっている。自分がちょうど町内に住み始めて、小さな子どもを連れて少しずつ町内行事に顔を出していた頃、ご婦人たちの年代の方たちがたくさん声をかけてくれて、自分たちのような参加が初めての人たちも過ごしやすいようにしてくれていた。気さくで明るくて、活気があり、人と人をつなぐための場作りをして、細々とした面倒事を負ってくれていた人たち。少し離れた自分の親よりも余程お世話になっているなぁと感じて来た。ありがたい大人の人たちだ。
今は町内会に入る人が減り、子ども会に入る人が減り、町に住んでいる人が誰なのかを知らずに過ごしている人が増えていると思う。町内会費は払っても、町内会の仕事はしないと公言する人もいるらしい。自分たちの町を誰が住みやすくしているのか。自分たちである、と言えない町になりつつある。自分の町の雰囲気を作っているのは自分たち一人一人である。誰かが担っているわけではなくて、自分たち自身が担っているのだ。みんなが少しずつ町のことを担って行けば、一人の負担は少ない。ほんの少しやるだけで、町は住みやすくなるのだ。別に、大したことはやらない。ちょっとした掃除当番だったり、回覧板を回すことだったり、町内のイベントを開催する手伝いだったり。上手にやることよりも、そんな場所に参加して、少しだけ顔見知りになったりすることが一番大切なのだ。自分の住んでいる周りに一体どんな人が住んでいるところなのだろう?と知りたくないのだろうか。
もちろん、ちょっと大変な役割りの人たちもいる。全員当番で回って来るものもあるけれど、数人だけ負担が多いものもあるのだ。だからこそ全員当番でやることがあれば「時間を割いたのはほんの少しだけど、やっぱり大変だよね。」と思うわけで、そのとき担ってくれた人の気持ちもわかるから、出来ることはやるし、少なくとも遂行しやすいように迷惑をかけないようにするものだろう。数人負担が多い仕事を担ってくれる人には「大変だね」と労うことはあっても、文句を言う気にはならない。そんなものだろう?
その町にある楽しみだけ受け取って、あちこちへ逃げ続けてしまうのかなぁ。素通りして行くようなものかもしれない。いつまで経っても住人になっていない気がするなぁ。ただ寝に帰っているのが家になったのだろうか。参加する人が多い一時期だけ町の活気があるときは住む人が増え、活気を続けて担う人がいなくなると廃れてしまい、つまらない町になったと言って人がいなくなるのかもしれない。いつまでもそんな感じだと、町の活気はいつか無くなり、どこへ行っても同じようになりそうだ。いやだなぁ。
自分の町の事情も変化して来ている。大人は仕事も忙しくて子どもと一緒にいられない。子どもは習い事が多くて、同じ学校の子ども同士さえ一緒にいられないから、家のすぐ近所に友達が作りにくいそうだ。きっとそれぞれ昔とは違う生活スタイルになって来ているよな。それは本当に仕方ないことなのだろうか?
自分も町づくりの福祉のボランティアを続けるかどうか迷ってばかりいたが、無理ない程度に出来る範囲内だけは尽力したいと思って、続けることにした。それに無理に忙しい子どもたちを集めないけれど、ほんのちょっとやる気のある子たちには知ってもらいたいこともある。心の中で福祉なんて!と思っていたっていいし、進学の点数稼ぎになるから‥という理由だっていいし、形だけ試しに入るのだけでもいいのだ。自分の町の未来を背負わなくても、自由に生きてどこかの町に住んで「ああ、こんなことやっていたな。」と思い出すきっかけになるといいな。
知らないことは知ることが出来なくて、無くなってしまったら誰かに伝えることも出来ないからネ。テキト―な人がテキトーなことを言っている、その程度でやる。やる人がいなくて潰れてしまった町内会を耳にして来た。せめて、活動の中に「いる」だけでも違うのだ。
では今日はこのへんで。