朝から起きて口ずさんでいる歌が古い。最近気が付くと歌っている曲が昭和の曲ばかりなのは、合唱の課題曲が古い時代のものが一曲あるせいだろうか。それが引き金となってつらつらと出て来るようだ。自分の中で忘れている歌も歌詞付きでメドレーとなって出て来ている。幼い頃に耳にして聞いていたものだからか、結構鮮明に思い出せる。熱心に覚えようとしていたわけではないのに、ほぼ覚えていて、そのとき思い描いていたイメージも一緒に飛び込んで来る。
今となっては、新しい曲を聴いて、それほどまでに色鮮やかに思い出す物なんて少ないのになぁ。新しい合唱曲を覚えるときに苦労するのに、あの頃の曲は「そのまま」「全体的に」「自分が感じていたイメージ」までもが一度に蘇って来る。細胞が記憶しているのだろうか。匂いはあまり出て来ないが、空気の温度や湿度なんかは伝わって来る。
レコードもそうだし、カセットテープで音源を何度も聞いたものもあるし、歌手が出演するいくつもの音楽番組等やラジオがあったから、その時々で違った場面のものを目にしてたくさん聞いていたからかもしれない。今よりもどれも音源も悪いかもしれないけれど、なぜか耳に残って響く歌声。ミキシングのエフェクト効果が少ないものだ。ほんの少しだけ残響音を調節しただけ、といったようなものだったように思う。一方向のモノラル音でも、美しく響く歌手の歌声を聞いていて、すごいなぁと思っていた頃だ。ステレオ音源になるとさらに驚いていた。
まぁ、もしかしたら自分が多感な時期と呼ばれる年齢だったから、その頃の感受性みたいなものとくっついているのかもしれない。今は感受性が単に衰えているのか、それとも余りにたくさん経験を重ねてすべてが当たり前に感じて鈍感になり、自分が反応するものが減ってしまったのか。飛び抜けてすごいな、と思う機会がほとんどないのだから仕方が無い。全身が緊張して、身震いしてしまうほどのものは減ってしまった。それは別に悪いことではなくて、心地良いと思う程度のものはたくさん増えた。ただ嫌になるわけではないが、初めての出会いのようなものは薄れてしまったように思う。普段過ごしていて諦めている訳ではないのだが、自分から探し続けないとダメなのだな、とは思うようになっている。
それは置いといて。新しいもの、と感じる機会がなくなった今、古い歌を口ずさむと自分に刻まれた昔の時点での「新しいもの」がたくさんあったことに気が付く。その頃出始めた新しい言葉が歌詞に使われていたりするのだ。その時代には実は馴染みがない、新鮮な物でカッコイイものだったのだなぁと思うものが出て来る。バルコニー、サッシ(サッシ!?)、ショーウインドー等のカタカナ言葉でさえ、きっとその頃は新しく感じていたんだろうなぁなんて思うのだ。自分が子どもの頃だから、当たり前にあったものだったのだけれど、その頃の大人にはおしゃれだったり、素敵に映る物だったのかもしれないな…などと想像して楽しんでいる。
今の暮らしだって、20年も経てばあっという間に古く馴染んだ言葉になるものがたくさんある。この先の未来にスマホなどなく、Youtuberなどいなくなり、AIなども存在しなくなり・・・なんて。わざわざその名称を呼ばなくなるのだ。人と人が面と向かって出会わなくなることもあるのだろうか。指し示す言葉が無くなって、そのものも存在しなくなり、そのうち今まで考えもしなかった違った生活を迎えることになるのかもなぁ。自分は古い人間だからと言って、いちいち掘り起こしては、きっと今のような生活をしたがる気がする。
では今日はこのへんで。