選択は、やりたくないと感じたところだけを削るのもよろし。

昨夜「明日はゴミ捨てもあるし、7時位には起きたいなぁ。」と思って眠ったら、タイマーが鳴る前に起きてしまった。自分の脳へ指令を出すと勝手に事が進むというのは本当の様だ。久しぶりに早起きしたので、ゴミ捨てを済ませて朝ご飯を食べ、キッチン周りを見渡して魚焼きトレイが焦げ付いたのを思い出したので、早速掃除をし始めた。洗面台やトイレの手洗い場も、外出しているときと同じように手を洗ったらその場で軽く拭いておく。本当ならそうやってその都度綺麗にして、後でやろうとせず、いつも次に使う自分のためにやればいいのだ。やっていないのは、そういうところで自分への扱いがぞんざいなのだろうなと気が付いた。出来る限り他人と同じように大事に失礼の無いように扱うことで、自分を後回しにせず、心地良い状態を保ってあげよう。部屋のあちこちで「自分だけだからいいや」と思っていたところを見直してみようか。

自分を大事に出来ないところはどこなのだろうと思っても、意外と漠然としてわからない。だから他人にどう自分が接しているか考えることにした。もしかしたら、その中で自分の思い込みばかりになっていて、他人に向けてやっていることが良くないことも判明するかもしれない。良かれと思ってしたことが実は良くなかった、なんてことは結構いくらでもあるものだ。自分の価値基準もどうなのかとか、見つめ直すことも出来るはずだ。まぁ、少なくとも自分だけの思い込みでやっている一方的なこともたくさんあるのだろうから、それをまずは知ることだけでもいいな。

そんなことを書いていて思い出したのだが、お客様対応ということについて。お客様のご要望に応じるというのは、最初のうちは少ない要望に応えるだけでそれほど迷わないでやれる。けれど、それが100となり1000となったところで、はて?となる。真反対の要望だってあるのだから。まぁきっと、そのときになって「この店は(自分は)どうしたいのか」と最初に戻って考える。結局、たくさんの意見が出れば出るほど、どれの要望を組もうと選んでも同じような感じになり、店の(自身の)特有な意見を通すことになる。誰かの要望に応えていくと、きっと巡り巡って最初やり始めた頃の店の(自分の)考えと同じところに戻るのだろうなぁ。なのでね、最後は自分はどうしたいのかだよねぇ。人の要望に応えることなど無理な話だろうな。

だからかな。母体数が多いほど、意見が分かれて、結局選挙みたいに多数決のようなものになり、一応意見が多いところ、みたいなものに答えがまとまって、誰にとってメリットがあるのだろうか?というぼやけたことに決まるのは。どの意見をとってみても、全員の総意なんて無理な話だろうと思う。どの意見もほどほどにダメだけれど、この意見は絶対に通したくないと思うようなダメと感じる量が多いものを否定する形を取るようになるのかもしれないなぁ。

話は変わるが、昨日どうしてもココア風味のケーキを作りたくて、材料を買いに出た。ココアを計って普段のスポンジケーキの材料と合わせて焼く。思ったよりも膨らんでしまったので上部分をカット。平らにして真ん中を切って2つに分け、生クリームとバナナを間に挟んで入れた。思っていたよりも大きいケーキになってしまったので、生クリームが足りなかった。仕方ないので上にクリームを薄く塗ってオシマイ。一切れ分切って皿に乗せる。おお!これが食べたかったんだ。切り口のところがくっきり見える。チョコレート色の甘過ぎないスポンジ生地に、真っ白に近いクリームの二層が見えるケーキだ。上にはスポンジケーキの余った削りカスを細かくして散らす。フルーツは乗せていないが、見た目は十分満足。また今日も残りを食べよう。

では今日はこのへんで。