昔、陶芸職人の人が言っていた。好きな物を作れと言われると、とにかく土をずっとこねていて、どんなに長い時間が経っても作れないまま。あーでもない、こーでもないと、一日が過ぎる。誰かから頼まれ「こういうのを作ってくれ」と言われたら、すぐに完成出来るのに、自由に好きな物を作れと言われると全く出来ないんだ、と。
PCに向かっていて文章を書いていることが多いのに、好きな文章を書いてくれと言われたら何を書くか、今は迷う。文章を書くことに対して、自分の中で今になって飽和状態になったのだろうか。誰からも頼まれていない文章を書く自由さを持っているにもかかわらず、何だか最近パタッと書くこと自体の楽しさよりも、手が止まって、行間のように空白のような感覚が興味深くなっている。なんだろう。
少し前からだと思う。続けているこのブログが明日で一年経つ。それよりも前に、人から頼まれて「書いてもいい場面」で断ることが少しずつ増えたように思う。省エネ化しているのだろうか。エネルギーを放出しっ放しではなくなって来た。文章を書くことを人から頼まれたり、友人に手紙を書いたり、そういうものですら減って来た。
何かを思えば書く、というようなことをずっとやっていたはずだが、今はただ沈黙することも心地良い気がする。言葉を選びたいのかもしれないなぁ。書くより前に、もっと考えたいのかもしれない。考える時間を欲しているような気もする。
考えるという時間は、自分の中では長い時間をかける。と言うか、かかる。きっと大体の答えが漠然とでも出ていて、それを書くだけの時期ならば、ずっと書いていることだろう。今は、新しい答えが欲しくなって来たのか、答えすら必要としなくなって来たのかもわからない。考えてばかりになるのか?それとも、これからも書いて行くのだろうか。人は変わるよなぁ。
「私には書くことしかないんだよねぇ。」と言っていた友人は、今この瞬間、どんな言葉を紡いでいるのだろう。人と比べても仕方の無いことだけれど、比べるとしたら自分はその人の足元にも及ばないのだ。書くこと以外のところでほとんど生きているし、単にケーキを美味しいなと思い、食べて生きているのが自分である。それで充足しているかと聞かれれば、きっとそうなのだろう。今はあれもこれもに満足している。
まぁ、満たされるのは一瞬かもしれないよねぇ。満たして、少しすると満たされなくなって、渇望して満たすの繰り返しである。そのことが次へ動き出すきっかけになるのだよなぁ。不安定にゆらゆらしているくらいがちょうどいい。何も揺れなくなってしまったら、本当に止まってしまうじゃないか。
よっこらせ。これからケーキを食べに買いに出よう。二回目の、では今日はこのへんで。