ただ出て来ないのか、言いたくないのか。言葉がお休みか?

もう何も出て来なーい。言いたいことはなーい。などと思っていても、人は物思う瞬間にすでにそのときの言いたいことをしゃべっているのだ。まぁ、言葉にならないこともあるから、そのことを後付けで言葉にしているようなときも多い。今朝はブログを書くのが先か、ピアノの練習が先か?と迷って、ふと「何も言いたいことはない」などと思った。で、こんなふうに書き始めてしまった。

ところで、冷蔵庫が空になっていた一昨日が過ぎ、買い物をして冷蔵庫は晴れて満杯近くになった。少し食べる物が少なかった半日程度を越えて過ごしてみると、腸内の様子が違う。お腹の動きが気にならない。お腹には空腹感がある時間が長いと良いのかもしれないな。

普段食べている量はそれほど多くないはずなのだが、食べるという行為は諸刃の剣でどうしたってエネルギー交換がされていて体全体には負担がかかるのだろう。その直接の影響を腸内は受けている。食べる量は多く無いと自分で思っていながらも、体からしてみれば、きっと自分も食べ過ぎの部類に入るのだろうな。

必要以上食べている、というのはどこでわかるのかと言ったら、お腹が一杯、と自分で表現するところ。満腹というのは恐らくダメだよなぁ。体が少しのエネルギーを使って、効率良く、頑張らず動いて行けるというのが最適なのだろうと思う。難なくこなせるよ!という感じで、文字通り軽くこなせるのがいい。

満腹だとどうしても「よっこらせ」と動き出して、体がフル回転している気がする。フル回転する体はエンジン全開なのだから激しい活動をさせているよなぁ。そういうのはたまにで・・・と思ったのも束の間、すでに今日はどんな菓子を焼こうか考えてしまっている。これは絶対に食べるよな~。

面倒くさいと思っていた税の申告等も終えたし、来月のケーキ屋のシフト希望も出した。それをやったら、やることはほとんど終えた気がしている。本当は終えてないか?した方が良いことは山積みである。たぶん、それはもう別にどうでもいいことで、自分がやりたいことではないのかもな。

忙しくなるとやりたいことなのか、やった方がいいことなのかわからなくなるけれど、こうして時間をかけてボケーっとして生きていると、自分のやりたい必要最低限のことだけを中心に動いていることが、人ならば当然であって、それが生きることなんだなと思う。

どんなふうに生きても人生は着実に進んでいる。それ以外の余剰分はもったいなかったなぁとは思わない。過ぎ去って無くなれば知らないし、わざわざ意識しないものである。忙しいと、やらなきゃいけないとか、やった方がいいこととかをこなして行くことに意識が集中しているような日々になってしまいがちで、だからこそ自分にとって忙しさは悪だなと思うよ。

それに、忙しいときに限って「暇な時間が欲しい」とまた更に無理して時間を作り出そうとしてしまうからヤバイんだ。もうそうなったら、自分が得たい時間を中心に考えて、他をどこかへポイっと丸ごと放り出すのいいかもな。自分のキャパと世の中が自分に向けて要請しているキャパを混同しないことだ。これだけ自由に暮らしているのにもかかわらず、何かにつけてやたらに自由を奪われそうなものだから、気をつけているところである。

うん、やっぱり今日は何か言いたい日ではないのだ。風呂に入って昼ご飯を食べよう。では今日はこのへんで。