年金支給日である。銀行が混雑する。自分も親のためにお金を下しに行った。たまたまなのか、到着したときにはATMが空いていた。ラッキー。今月一か月分の現金のみ手渡しする。
行く前の1時間ほど、電話が鳴り「今回は○○があったから(遣ったのだ)。」といくつもお金がかかった理由を親が言う。口癖のようだ。自分の知らないところで借金もしたことを知った。話を聞いていると本人は借金をしたという自覚がないのがわかる。次の年金から払うつもりで人からお金を借りていた。今月分から払うとなると大変だから借金を気安くやらないのが普通だろう。だが親にとっては、その分これから遣うお金が減るという感覚はない。
それはどうやら借金をする人の大きな特徴らしい。借金は「自分にはまだ使えるお金がある」という感覚である。貸してくれる相手がいるとなると、まるで貯金のように遣える額が増えていくイメージである。実際にはそんなことはあるわけないのだ。常に積み重なって増えて行くのは借金である。しかも返せない程に膨らむということが簡単に起きる。恐ろしい。親本人よりも自分の方が危機感を感じている。
結局、少し前に「残高がない」時点で、遣わない決断をする時だと伝えたけれど、年金支給日前に親しい人から借金をしてしまったのだ。電話の最中に親側から一方的に電話を切られたので、紙に書いて自分の考えを整理した。改めて再確認のつもりで親へ次のようなことを伝えることになった。
今自分が通帳を預かっているのは、親が苦しい思いをしながら借金返済を終えて、やっと余裕が少し出来たときだった。カード等は解約したけれど、安易に借金することをやめられず、目の前のお金の管理が出来ないからという親自身の不安から、私のところで通帳を預かって欲しいと依頼されたものだ。小遣いのように使用項目を分けて、遣い過ぎないように渡して欲しいのだと。それは一時期お金について、まともに親が考えることが出来ていたときに頼まれた内容で、過去の親自身と約束した内容を自分は遂行しているだけである。いつも自分がお金を渡さない意地悪な子のように言われ続けているのは心外であった。親にそのことを改めて伝えると、少し考えたようである。
とは言うものの、結局は借金した人にお金を返すのも含めて、現金で渡せるギリギリの金額を渡すこととなった。銀行で引き落とされる金額が今よりも増えないことが前提である。出来るかどうかは本人任せである。残高すべて遣い切るような生活を選んでいることについては、本人が望んでいることであるから構わない。貯金をしようと思ったら自身でやれるのだ。銀行引き落としの額も、現金で使う用途もだ。適正な予算は伝えてある。現金で賄う生活の諸費用も渡してある。後は自分で選択、決断をするしかないのだ。
親に対しても子に対しても、それぞれの未来や現在を自身で見据えて考えて過ごして欲しいと思う。好きにやって生きて、多少痛い目に遭うのは自身でどうぞ、だ。自由選択して生きているのだから、自分から見たらこの方がいいだろうというような提案はするけれど、決めるのは本人自身である。
こういうことを言い続けて来たが、「親に冷たい」「出来のイイ子を持ったから出来ることだ」と自分の親からは度々言われる。ふうぅん。まぁ、きっとそうなのだろう。それぞれの主観だ。自分は結構親に優しく、子には冷たいかもしれないのだが。それにしても、優しさに対しての感度が高い出来のイイ子で良かった。ははは。
ひとつ思い出した。今までの話とは全然違う話題だ。自分はいわゆる湯シャンをしている。水道水が温められただけというものが、自分の体の汚れを落としてくれる。ほぼ石鹸等も使わないで、日々風呂に入っている。朝夕入っている割に風呂場が汚れないことに気が付いた。空気が乾燥している昨今の状況もあるのだろうが、シャンプーや石鹸等のカスが周りに付かないせいなのか、カビというカビが生えない。排水口も特に掃除をしていないが、洗濯で使った水が流れる先でもあるのに、汚れがほとんどない。洗濯の洗剤はちょっと特殊な物であるからそのせいかもしれないけれど、様々な汚れを吸着して離さない性質があるので、その日の汚れを吸着して水と共に流れて行ってしまうのだろうなと思う。
以前、キッチンの排水口が詰まったときに業者の人から聞いたが、排水口を掃除するための洗剤が実は残って汚れて行き、詰まる原因になっていることもあるらしい。キレイにしたいのに、本末転倒な話である。洗剤も一つの物質であり、菌の餌になるのだよなぁ。そのことを思い出した。水道水というのは常に変化して生活上で害が少なく、自分にとっては素晴らしい存在である。安価で手に入れられるのも頼もしい。湯シャン継続である。
では今日はこのへんで。