年に二回だけある地域と学校等を結ぶ会合に出て来た。最近隣の地区では警察の人からの話によると、問題が発生しているとのこと。お店が集まっている場所の一角でどうやらたむろしている集団があり、悪事のための繋がりが多くなっているような様子。中学生がちょっと悪いOBの人たちから声をかけられて、より悪い人たちと繋がりつつあるそうだ。コロナが明けてから、外に出て悪い繋がりが復活したという別の場所の話も聞いた。最近、道を歩いているとパトロールが増えたなぁと感じていたから、そういうことだったのだ。
自分のすぐ近くで万引きやバイク・自転車の窃盗、それに特殊詐欺事件が多発しているらしい。少年犯罪発生率ワーストの上位に入ってしまったという。こんなに狭い地域なのに!である。確かに少年犯罪というのはニュースなどでも目立つように取り上げられていて、まるで多くの少年が罪を犯しているかのように見える。でも、少年犯罪についての講演を先日聞いたときに、少年非行は数自体は減っていると知った。加えて、少年による凶悪事件が増えているかというと、そちらも減少。国全体では減少する傾向があるのに、自分の周りでは増えている。とても大変な事態なのだ。
PTA活動を細々とでも無くさないように努力している人たちの話を聞いたときも、活動している本人たちでさえも学校と多くの保護者との関係がほとんど断たれていると感じて危惧している様子であった。保護者が学校に興味が無い、保護者同士もお互いに興味が無い、保護者と子どもという繋がり自体も仕事に阻まれ、物理的時間的にもすれ違いで、ポツンと残った子どもは構ってくれる悪い人たちに付け込まれる隙が出来てしまう。ちょっと極端に書いてみたが、あながち間違いではないだろう。誰も自分を見てくれていない、構ってくれないなとなったら、自分の方を見てくれて、気にしてくれて、構ってくれる人のところに行くものではないだろうか。こどもたちが犯罪に巻き込まれて行く要素は十分にありそうだなと思う。
実際に犯罪が起きるまでには、犯罪を思いついても、達成するまでにいくつものやる・やらない選択ポイントがあるということを考えてみて欲しい。犯罪というのは動機があっても、すぐ起きる訳ではないのだ。本人にやる気が起きても実際に実行するまでに歯止めがたくさんかかるものなのだ。何かを達成するには動機があり、それに合わせた行動を考え、実際に行動を起こして一つ一つこなしていくことになる。実際はとても面倒なことなのだ。何かきっかけがあり、動機が起こっても、行動するためには常にやる気の持続が必要。実行するまでにいくつものハードルを越える必要がある。動機があっても、実際に事を起こすまでにはかなりの間があるのだ。
捕まった人から犯罪をやった・やらなかったときの違いをヒアリングした結果があり、それによると、犯罪を実行しようと動き出したときに「たまたま挨拶をされた」「顔見知りに会った」「ふと友人の顔が浮かんだ」等、何らかの人との関わりが思い浮かんで来て、そのときは止めたのだということがわかっているらしい。これは少年の犯罪を食い止める大事なポイントであるようだ。人との関わりがあると、その関係を失うかもしれないなという気持ちが出て来て、犯罪への行動を邪魔する。きっと簡単に気分も変わってしまうだろう。人と繋がっている人には失うものが多い=コストが高い、だからそのとき罪を犯さないということになるそうだ。失うものが多いと犯罪は発生しにくく、失うものがなければ発生率は上がって行く。人と繋がっている人はそういうコストが高いので、犯罪を達成しようとしてもどこかのタイミングで実行せずに終わっているというのが実際のところなのかと思う。人との繋がりが防犯になるのだな。実行するまでに、何も人との関係がないような人は、するすると実行に向かってしまうだろうと簡単に予想はつく。多少でも人との関係があるか無いかは大きいのだ。
また、自分たちが日々何気なくやっている防犯行動の成果とは、目に見えないし、わかりにくいものであるということ。なぜなら、成果とは「何事も起きないこと」だからだ。起きていないことは、わからない、感じにくい。少年犯罪が起こることとは少し違うのだが、校外パトロールや道路での旗持ちについての成果について、納得する話を聞いた。たった一人でも道に立っている保護者がいるだけで、小学生が性犯罪に巻き込まれるのを予防する効果が絶大だそうだ。もちろん、起きていない場所では起きていないから実感は無いし、効果があるのだろうか?無駄では?と思われてしまうことが多いかもしれない。けれど、人の目があることで「今回はあの大人が自分のことを覚えているかもしれないから、今日は止めよう。」と思い止まったことがあるという話を、罪を犯してしまった人たちから聞いてしまったらどうだろう。犯罪が起きていないのは、実行するまでの間に「今日はやらない」という選択を、少なくとも促す行動になっているのではないか。誰かがそこにいるというだけでもいい、活動を続けて行けば、何事も起きないはずなのだ。効果が見えないのは、悪いことが何も起きていないから、と心に留めておきたいと思う。
さて、自分は何をするだろうか。最低限、人に関心を寄せることは出来るのではないかなと思っている。人は気にされているとなぜか気にするものだ。見ているよ、気にしているよ、だ。変な話、全然仲が良くなくてもいいのではと思うのだ。少なくとも見られているから、捕まりやすいリスクが上がるなと思い、罪を犯す手が止まることがあるという効果もあるんじゃないだろうか。近所で挨拶は積極的に続けたい。存在を誰も知らないというのが恐らく、一番怖いなぁ。気にしよう。
では今日はこのへんで。