福祉の行動というのは日々その辺に転がっている。何も特別なことをするのではないよなぁと思う。自分が無理なく出来ることを出来るときに出来るだけのことをするという感じだろうか。自分の生活が危ぶまれるほどの自己犠牲では続かないし、自分の生活を当たり前に守りながら行うもの、と思うのだがどうだろうか。
先日受けたボランティアの研修では、自分の大学時代お世話になった先生が講師として招かれていた。学生の頃はその先生が福祉活動をやっている姿が眩しく見えた。たまたま自分の恩師の知り合いでもあったので、尚更親近感もあったように思う。その頃は先生もまだどこか大学の教授ではなくて、親しみやすい、地域活動を熱心にしているオジサンといった感じであった。いつしか教授としての顔がしっかり板についてそちらが本当の顔のように感じて寂しくもなった。その後先生は他の大学に移り、その土地の現状の把握に努め、全国的にも課題であると声を上げて取り組んでいたので、全然関係のないところで先生の名前を見ることがあったのが数年前だ。今はご自身の地元に帰って地域の自治活動と共に子どもや若者を助ける活動を展開されている。高齢なのに、未だに精力的に活動されていて、なぜか自分とも接点が再び出来ているところである。
自分が年齢を重ねて来て、普通の暮らしをしている中で先生のように活動をするというのは「無理」というのがわかって来たところである。独身ならまだしも、家族を持つ身になって考えてみたら、その活動をやるためには24時間対応することになり、自分の家族との時間を失ってしまうことに気が付いた。家族と一緒にいることよりも、社会を変えていくための活動に身を投じてしまうのだ。それが「出来た」先生はだからこそ先生になったのだと言ってもいいのではないかなと思う。自分の人生の多くの時間を割いて向き合う相手は誰なのか。先生にとっては家族よりも困っている人と向き合って来たのではなかろうかと思う。
先生の活動は素晴らしい。こういう人がいないと社会は良くならないのかもしれない。けれど、家族の視点から目に映る先生は良き夫、良き父親だったのだろうか。家族がそれでいい、それでこそ自分の夫だ父親だ、と思える家族がいてこそ成り立っていた気がする。だからこそ、社会にとって貴重な人であり、その人の家族も貴重な存在である。
素晴らしいことに変わりはないのだが、先生に限らず、それらの活動をやって来た周りの人たちを見て来て、多くの人にそのことを一般化するのはとても難しいのではないだろうかとも思っている。現に先生の話を聞いていて、誰か困っている人の「話を聞く」のにも毎夜時間を割き、話をするきっかけのために自腹でケーキを買い食べさせる…というようなことも期待されているような気がしたのだ。いや、無理だよ~。お金も時間も、どれだけ自分の身から出せばいいのだろう。与えられたからこそ相手も心を開き信用してくれるのだろうとは思うのだけれど。自分はそのやり方では継続は難しいなと思う。ボランティアでやっている身ならば尚更である。
自分自身は「時間」というものが唯一誰かに与えられるものだと思っているのは変わりない。だからこそ、提供することを惜しみなくやっていたかったのだが、それは今までの自分の暮らし方があってこそである。自分が金銭的に困窮していたり、そばにいたい家族の願いと共に自分もそうであったのなら、自分は働く時間を増やすことで生活を改善して行くことに努め、家族にも時間を提供するだろう。もしそうなったら、困っている人に対してボランティアに行くという時間はかなり減るのだ。だから、金銭的にも安定して、その上家族以外とも過ごせる時間があることが、普通の人々をボランティアに向かわせる条件ではなかろうか。
今の世の中で、それぞれが精一杯という暮らし方をしている。個人がキュウキュウな生活をしていたら無理な話だ。結局、ほんの少しのやる気と、その中でどう時間や金銭的なことをやりくりする能力が必要だなと思う。社会全体がキュウキュウしているのだから、一握りの余裕がある人間だけに任せるだけしかないというような、他人任せになってしまうのも違うだろうと思っている。
そういう意味で、自分は今岐路に立っている。今後生活費を稼がなきゃならない。家族も家に帰って来る。日々の生活の中でほんの少しのボランティア活動は出来るが、団体に所属して、年間を通じて行う活動に対してどの位時間を割けるのだろうか。そういった特別な団体での活動ではなく、単発で出来るときにやる、または日々目に映ったその場の支援に徹するのがいいのか。ボランティア団体という組織の中の自分と個である自分で出来る範囲は違う。制約も実はあるなぁと感じても来た。
単純に人が「仕事」をしていることは社会へ貢献しているし、そういう形を取った方が良いことも多いのだろうなと感じている。けして、自分のためだけに働いて暮らしているから、人のために役立っていないなどと思うことは必要ない。人一人分の人生を過ごしていることだって、十分に社会貢献している。誰かの手を借りて生きているとしたら、その相手に仕事を与え、生きがいを作り、自分も他人も生かしていることにもなるのだし。日々、その辺を歩いていたって人助けのようなことはいくらでも出来るよねぇ。まぁ、どれを取って見ても、社会貢献はしているよなぁ。さぁ、どうしようか。自分はどうしたいのだろう?そんなことを考えていたらお腹が空いた。ご飯だご飯だ。
では今日はこのへんで。