今朝は体が軽い。ご飯を食べても、ちゃんと満腹感がある。それに比べて昨日は、一日中うつらうつらして眠気がひどかった。しかも常にお腹が空いていて、いくら食べても飢餓状態が続く。傷を治すということを体が率先して行っているのだろう。特に運動も出来ないので筋トレ等もしていないのに、体のあちこちで傷口に向かって栄養が吸収されているのか、少し痩せたような気がする。体というのは正直なものだな。いつもよりカロリーオーバーで過食気味な食事でも、治癒させることに一生懸命エネルギーを使っているようだ。
そんなところから脱しての今日だ。頭もかなりすっきりしている。昨日は言葉が思っていることと違うものを発していたりして、ちょっと変であったなぁと自覚しているが、今日はスルスルと出て来る言葉に自分の中との差や間違いを感じない。傷を負っていたり、病気なら休んだ方が良いな。治癒をしている最中は見た目とは違って、体は病を治すことに集中して働いて動いているのだから、食事をしっかりとって休むというのはとても大事なことなのだろう。
右足に傷があるのでピアノのペダルを踏めないのだが、左足で発表会の曲を弾いてみた。苦も無く弾ける。右足も左足も、椅子に座る姿勢さえ安定していれば、何とか弾けるなぁ。自分はエレクトーンを若いときにやっていたせいもあって、どちらの足も感覚は自由である。何の抵抗もなく普段通りに弾けた。こんなに感覚が同じだなんて思ってもみなかったが。ただ、やはり逆の足を使ったことによって、普段の右手左手にかかる神経が混乱してしまった小節があった。少しは使っている頭や神経が普段と違うのだろうと思う。
こういうときにしか自分の神経のつながり等を試すことはないから、不便な生活も興味深い。体験してわかることが多い。調理台の高さが固定されていることで感じる不都合や、ほんの少し背を伸ばしながら上の物を取ることの危険性、何かの拍子に意識してコントロール出来なくて、全身の筋肉が緊張する突然の反応に気が付いたりしている。夜中体がこわばって寒い中、トイレに下りる階段の面倒だと思う気持ちと一人転げ落ちてしまう危険さもあるのだな。体が丈夫じゃないと古く寒いあばら家には住み辛いのだなと思った。冷えた時間帯にストーブをつけると固まった筋肉が動きやすかったり、背もたれのある椅子の心地良さを感じたりしていた。何かあったときのために身に着ける物を選んでおくことも大事なのかもなと思う。身に着けるものがあまりにボロボロではまずいな~。
どこまで行っても、今はまだ自分は若く、動けるのだ。たぶん治りも早いのだろう。気を遣ってくれる人の存在がある。家に他の動ける人間がいることのありがたさは、こういうときにしかわからないなぁ。年を取ったときに、どのくらい自分に負担をかけたり、周りにも負担をかけたりするのか。その負担を軽減出来る仕組みや暮らし方を考えたり、探したりしていかないとな。今のままで生きられるわけではないのだ。変化はずっと続くのだなと思う。体験すると気が付くことが多いなぁ。わざわざ痛い思いをしながらも、病状どうこう関係なく手術をして良かったなと思うねぇ。痛い思いをわざわざ選ぶのって変人だと思うけれど、身をもって体験することほど見えなかった世界が見えて、勉強になるよ。
こうやって書いているだけで、また眠くなって来てしまった。頭を使って手を使って、お腹も空いてきた。いつもとは違って、やはり体にとってエネルギーを使いたいところが違うのだろう。そろそろ食事して休むことにする。では今日はこのへんで。