ビールと言えば・・・栓抜きの手触りなどもう知らない人ばかりですね。

大掃除は窓を制すこと。それさえ済めば、きっと楽になる。窓が多いのに風当たりの強い家に暮らしているせいで、年末は窓の溝と窓ガラスをはめ込んでいるゴムに土埃が固まっているのを落とす作業が中心。大掃除というより、窓掃除なのだ。12月に入ってから時間が出来ると少しずつやっていたものの、結局今の段階でまだあと6枚ある。どれも小さな窓ではあるが強敵だ。外からでは背が窓に届かず、椅子を持参で庭へ回らなくてはならない。しかも泥が溜まりやすい場所であるし、さあ拭くぞと思っても格子が邪魔をする。今度もし住み替えるなら窓が少ないところへ!!と思うのだが、夏の暑さをしのぐのにはとてもありがたい窓である。もっと普段からこまめに掃除しないとなぁ。

窓掃除だけに限らず、最近のお気に入りの自分の助っ人道具がある。壁紙をはがしたり、鍋の焦げを落としたり、はがれかけたペンキを削ったりするためのヘラだ。木の柄が付いていて、刃物ではないが金属の物。小さな力で何でも削り取ることが出来る。これを使うと窓の枠の泥汚れも軽くこすれば取れる。魚焼きで汚れたグリル皿も、お湯につけて焦げたところや油の固まりを削り取っている。○○専用、などというような道具の使い分けをしないので、基本的に汚れ仕事をすべて任せていて、複数の事柄をこの一本で済ませられる。道具って本来そういう物だったはずだよな。

周りには何にでも便利に使えるという物は減って来た。人が使い方を知ることがなくなってしまったのか、1つの使い方を特化した物が溢れているのか。子どもの頃にはナイフを一本持っていればいろいろ出来るなぁと思えたのだが。自分でさえも、そういう考え方を持ちながら生活をすることが少なくなって来てしまったように思う。もしかしたら道具に対して、手つかずの対象がたくさんあったのかもしれないな。今はほとんどの物がすでに加工されて存在しているから、わざわざ自分で手をかけることなどしなくても作られていてすぐに使える物しかない。何らかの目的で作られた物ばかりだ。

今机の周りを見ていても、単なる素材のようなものがひとつもない。紙切れすら、元々「メモ帳」として存在して自分の側に転がっている。素材になりそうな物はボランティア仲間から受け取った毛糸の入った大袋くらいだろうか。その毛糸でさえも、自由な発想を呼び起こさなくなって、ただ何かを編まれるのを待っているように見える。想像を誘う物が減ってしまったせいかもしれないし、自分自身がその便利で楽になるよう用意された生活に埋没してしまったところもあるのかもしれない。人間として、危機感がないのかもなぁ。これはヤバイ状況である。

まぁ、まだ手に持っている道具が一日の中で多用されているところが、未だにあるというだけでも、まだマシかもしれない。ふと、昔の便利グッズ、一方向の道具で思い出したのが、缶切りである。最近は缶切りなど無くても、蓋が開くようになった缶詰が多い。不意に引っかけてしまって手を切ることなどなく、綺麗に安全に開けられるようになった。そうなって来ると、年配の方であっても、小さな力で缶詰の蓋をパカッと開けられるようになって、もはや缶切りなど、要らない道具となっている。家にまだ有るところはあるのだろうか?

だが、缶切りはもう廃れた便利グッズだとしても、必要になる場面はたまにある。そんなときに、あれだけ若いときに多用して生きて来たはずのご婦人方が、今となっては使い方がわからず、うまく開けられないという場に遭遇した。力も要ると言えば確かにそうだが、すでにどこをどう握り、缶につけて、どの向きで動き、どの方向に力を入れればいいのかわからない様子。自分がその缶切りのお役目を頂いて缶詰の蓋を開けた。一度新しく味わった便利さは、昔せっかく使い方を覚えて慣れ親しんだ道具でさえも、すっかり忘れてしまうものなのだなと思った。

まぁ、常に新しいと思った便利さは次々に更新されてしまうものだろう。自分もこの助っ人道具「ヘラ」の存在が、以前の窓拭きのやり方を大きく変えてしまったような。古歯ブラシや串とかはたまにしか出番がないゾ。

では今日はこのへんで。