今回のお歳暮は手伝いに入っているケーキ屋の焼き菓子にした。90歳位になった親戚とケーキの会と称していつもケーキを食べながら話をしている友人(この方も実は親ほどの年齢だ)に昨日店から焼き菓子を送ることにしたのだ。目上のお世話になった人へお歳暮と言いながら、ただ好きな食べ物を交換しているようなもので、自分は毎回選ぶのを楽しみにしているところもある。
今年は自分が食べ物の店で勤めていることもあって、焼き菓子にしたのだが、決まったセットではなく、数多く種類のある焼き菓子の中から選んで箱詰めして来た。クッキー1つとってみても、相手のことを思い出しながらだ。口の中でざらつくものや硬いものはやめようとか、コーヒーが好きだったなとかを思い出して選ぶ。相手のことを自分がよく知らないと出来ないことだよな。
遠距離でほとんど会えていないが、電話で年に数回やり取りしている親戚だけれど、人の縁とは不思議なもので、そんな細い細い糸のような縁が、自分の親のピンチを助けたり、ふとしたタイミングで自分が温かい気持ちになることもある。「元気でな」という言葉でさえ、あるのとないのとでは全然違うのだ。
適当な電話をかける理由がなくても、夏と冬に贈り物を選び贈り合うだけで、連絡をするきっかけが適度に出来るのだ。日本のこの習慣は今となっては、お金のかかる要らない余計な習慣になって嫌われているようだが、この時期に義理じゃなくて贈り合いたい人に贈ればいいじゃないかと思う。みんなそんなに義理ばかりで苦しんでいるのだろうか?たくさんいる義理の相手の中からでも、その中で本当に贈りたい相手を選んでみたらいいのだ。
普段から顔を突き合わせているような人に贈るのはやめてもいいだろう。改まった感じを出したいのなら別だが、贈答用で箱詰めの高いものを買わないで、手に取るのが少し高価だなと思うような嗜好品を年に二回同額で買うというのも良いかと思う。親にはそんな感じでやって来た。物が多過ぎる人だから、最近はあげていないけれどね。
ケーキの会をやっている友人は、多少高齢だけれど、その名の通りケーキを食べられる人なので、味わって欲しいと思った焼き菓子を詰めた。ケーキの会が忙しくて延期になっているので、たまに来ているという家族と一緒にお茶をしてもらえたらと思う。そうだなぁ、いつもケーキの会の友人に贈るときは、その家族が集まるきっかけになるものを考えているなぁ。相手の状況や好み、どう過ごすのが幸せなのかを知っているから自分も出来ることなのだな。贈り物は、自分がどれだけ相手のことをよく知っているかが試されているかのようだ。
ちなみに私は、家族への贈り物は全然思いつかない。ただ、物では、だ。欲しい物は彼ら自身で手に入れることが出来るので、自分から渡せるのは状況や環境を作ることかなと思っている。普段一人では行かない場所に一緒に行ってみたりすること。友人と一緒とかではなく、家族と一緒でしかやらないことの機会を作る。これって、案外意識せずにやって来られた人もいるかもしれないが、私は家族と自分が一緒に過ごす時間を作ることをあまり出来ていなかったせいなのか、これが贈り物になると思っている。与えられるのは、自分が生きている間、自分と過ごす時間のみであると思っている。自分にとっても相手からのプレゼントであるし、それに相手にとっても、であって欲しい希望でもあるのかな。
では今日はこのへんで。