昨日はピアノレッスンに行って、合唱の練習に出た。その後、ケーキ屋の店主のところにケーキを買いに行くついでに年末調整の書類を出しに行って来た。一日はあっという間だ。
家を出ていると、時間があっという間なのだが、過ごし方の違いなのか。レッスンに向かうバスの中からいつもとは違う景色を見ていた。遠くの山や家の陰に隠れた知らない家の表情も見る。少し上を向くと、広がった青空や雲が常に見える。たった10分ちょっとのバスの中なのに、視線を変えてみるだけで、広がる世界は違うのだ。移動中に度々人に連絡していたこともあって、あまり見えていなかった世界を昨日は堪能した。
その、たった10分程度の広がった世界。短く隙間のような時間に自分はいつも何かの用事をねじ込ませて来た。終わらせておきたいことをやってしまっていたなぁ。どうせなら光っている空気を存分に見たり、深呼吸してみたり、何もないような時間を過ごしてみたらいいのに。めずらしく、ため息を何度もしていた。自分のため息すら、十分に気が付いていなかっただけだろうか。それとも、今までため息なんてついていなかったのだろうか。全然わからない。ため息する自分に笑える。笑った自分にもため息をついていた。
室温が10度を切っている。大分冷え込んで来ている。はーっとやれば息は白い。寒いはずなのだが、自分だけ暖かくしていれば、暖房をつける必要もないので、今のところそのまま。ピアノを弾くのに冷たいままなのはどうなのかとは思う。そろそろストーブをつけてピアノ練習をしなくてはならないなぁ。一度ストーブをつけてしまったら、その暖かさに離れられなくなるかもしれない。だから、ストーブはまだ迷う。外にいるみたいな格好をして、それでも寒くなってしまったらストーブをつけることにしよう。
光熱費の節約をしようと思うのは、特に電気を使う生活などしていないのに、先月の電気代が上がっているのを見たときに、その値上がり方が顕著だったことからだ。いつも2千円には達していなかったのに、今回は超えている。光熱費に限らず、食品は今まで手を出せないと思っていたような金額が普通になりつつある。ケーキ屋の店主が値上げをしないのであまり感じていなかったが、食料品は安いお店であっても今まで買っていた物の値段から100円は上がっている。これから下がることはないのだろうか。今まで安すぎて、ある意味適正になったのならそれはそれでいい気もするのだが、収入の無い身としては、貯金していたお金の価値が値下がりして行くにしたがって、予定していたゴロゴロ休暇の継続が難しくなりそうだ。今はほんの少しケーキ屋でお手伝いをした分増えているわけなので足しにはなりそうであるが、結局のところどこかで区切りをつけなくてはならないこともあるだろう。自分の生活の見直しは続く。
一人でする外食はかなり減っている。ケーキ代も店の手伝いを始めたことで総額が減っているのは間違いない。人と一緒に行くランチにはお金をかけ、自炊をする日々だ。ある時期、外で食べまくっていたことを考えると、今までだから良かったのだろう。値上がりして来た昨今は、外食というのは自分にとってちゃんとした贅沢になった。暫く当然のことのようにやって来たことも見直す機会だと思う。特別感がある方が人は喜びが大きくなるし、少し慣れてしまってつまらなくなった頃合いでもあるから、ちょうど良かった。普通だと思っていた生活を削ぎ落して行くこと。それはたぶん普通じゃなかったのだろう。見直せば見直すほど、自覚無く忘れてしまっている物事がなんと多いことだろう。大事でもなんでもなく、するすると勝手に自分のお金を遣われてしまっていた部分が結構あるなぁ。まだまだ削れる。
やっていくときに自分が「我慢をしている」ようなところは削らない方がいい。そういうものって常に自覚があるし、好んでやっている物であることが多いから。気にも留めていなかったことを削るのだ。むしろ、嫌々人に合わせていた部分、常識だけのために使っているものとかを減らしに減らす。若い人なら自分で選択出来る経験がまだないだろうから仕方のないところもあるけれど、半世紀も生きていたら一度見直すことも大いに価値があると思う。自分の生活が経済的にも精神的にも余分な物事を減らせるし、地球環境にもエコだなと思う。
自分はお金がないときに、一食分を減らす、という行為は出来ないが、一度に食べる分量を減らすことも出来るなぁと最近思っている。一人暮らしの貧しい若者と話をしていたときに、お金が無いから食べない、エアコンはつけない、電車には乗らないで歩く等、やっていることを聞いていたことがある。元々お金の遣い方が少し上手くないこともあったり、過去に借金をしてしまっていたりして、生活を立て直す最中の若者たちだった。自分が「それじゃ辛いよね」と思ったときに、彼らが言っていたのは、無ければ無いなりに過ごすということ。辛いけれど辛いなりに、自分が出来る限りの工夫をして暮らすのだと。それを聞いていてまるで、自分の方が「辛いのは嫌だ」「無いのは嫌だ」と駄々をこねている気になって恥ずかしくなったものだ。
案外、自分は贅沢に暮らすことに慣れ切っているのだよなぁ。もっと言えば、普通に暮らすというのを気が付かないうちに誰もが当然という感じで受け止めているよなぁ。誰もが普通に暮らす、というのは漠然としている。その普通というのは誰も疑わないでいるけれど、実際は人や住む地域によって千差万別じゃないか。自分は未だに贅沢だなぁと自分自身を見て思う。贅沢に暮らすのも悪くないのかもしれないけれど、自分は未だに気が引けるくせに、全然贅沢だよなぁ。
辛いのが苦手で…。って本当に贅沢だ。辛くないようにしてばかり。たまには辛いねというのを体験してから、さてどうしたら辛くならなくなるかを考えたらいいのに、体験する前に先手を打って自分を保護してしまう。だから工夫が足りないんだよなぁ。ということで、今日も暖房をつけずに過ごしている。
では今日はこのへんで。