孤独かどうか自分を二度見してみたら、あれ?違った。

自分が言った言葉は必ず自分の元に戻って来ているのを感じていたから、人に対して物を言うときに「常に自分がその立場になっていたらどうなのか」というのが頭に過って、若くて何も出来ない気がしている自分に向けて、放つ言葉をためらったことも度々ある。弱いな自分。自分可愛さに言えない言葉もたくさんあったと思う。誰かに言っている言葉は自分に向かって言っているのと同じことだと今も昔も思う。

こうやってブログを書いているときに、言いたい言葉とぐううと自分の中に飲み込もうとする言葉がせめぎ合っているのは変わらない。けれど、この年齢になって来て、いくらでも馬鹿になれるこの身であるから、自分の首を絞めることに繋がる言葉も、堂々と言ってしまって、どうせなら自分自身も試すような気持ちで言ってしまった方が良いと思うようになっている。これが、もしかしたら、自分が言ってしまった言葉の責任を自身で受け止めるということなのかなぁ。自分がどの立場の身になるかなんて、想像もつかないけれど、その立場になったときにも「どうしようかなぁ、考えるさ。」と思うくらいには今はなっている。全然今でもちゃんと生きて行けるという余裕はないし能力もないと思うが、その時々に考えたり、困ったら誰かをちゃんと頼ったりしようとは思っている。そうだな、きっとそれなりに生きて行こうと思えるようになったのだろうと思う。

おお、話が実は脱線しまくった。まさか、そんなことを書くとは。まぁいい。話を戻してみる。自分が口にした言葉が、嘘みたいにかなりの確率で自分の身に降りかかって来ることを書こうと思ったのだ。今、手伝いに入っているケーキ屋で、何気なく言った言葉が次々と実現される。自分の実感がないまま、言葉通りのシチュエーションが始まるのだ。「たまにあることが、自分は意外と当たってしまうんですよ。」と何気なく言おうものなら、次から次へとその「たまに」ではない状況になるのだ。そして対応を迫られる。そんな感じである。昨日も、保冷剤や長時間持ち歩くための包装について、店主と話をしていたときに、思わず昔のバイトを思い出して、ぽろっと言ってしまったのだ。言った途端にお客さんが次々来ては、「車で2時間位?持たせて。」「5時間はかかる。ダメかな?」等々この寒い時期にはめずらしく保冷包装が必要な稀なお客さんが店に溢れた。勉強になるから運がいいと店主は笑っていたが、まだまだ箱詰めひとつ取って見ても大変な中で、いろんな稀なケースに当たる一日だった。ひゅ~。

どうせなら、自分がラクで気分が上がるような良い状況になる言葉を放つ方が良いのだと常々思う。悪口なんてもってのほかだ。悪口を言われる身になることなど簡単で、あっという間であろう。出来るだけ自分に言って欲しい言葉を人に投げかけて、戻って来る言葉を欲しいままにするとかがいいんじゃないか?

ひゅ~と思いながらケーキ屋を後にして、帰宅すると家の近くの道の先で、何やら暗がりに見慣れた姿がある。でもまさかな~、見間違いだろうと思って歩いて行くと、「○○さぁ~ん、良かった!」とほとんど泣き声に近い声で呼ばれる。年配のボランティア仲間だった。どうやら柿を貰ったお返しにと、やっと取れたからと言って自分の家の柿を持って来てくれたようだ。足が痛いのに。近くだからと思って家を探して、わざわざ届けに来てくれていたのだ。坂を上ったり下ったり、暗いところで迷って、きっと大変だったことだろう。不格好な柿だけど、また違う味がするだろうから食べてみてと渡された柿は、見事で大きな甘柿だった。帰り道が心配だったので道のりを確認して、見送った。本当にありがたいものである。

ということで、今は一人暮らしだけれど、全然孤独じゃないんだよね~と書いておこう。毎日のように誰かに出会い、誰とも話さなかった日はない。それだけでかなり十分で、気が付けば楽しく暮らしているのだ。家に一人こもってゴロゴロしてばかりいると自分は思っていたが、どうもそうでもないらしい。一人暮らしているとは言え、孤独とは無縁のようだ。考えてみたら、一人で過ごしているのに朝からテレビを見て大笑いしていることもある。笑ってばっかりだな。大笑いする孤独な初老?ってなかなかなものだよ。あ、初老って辞書見たら40歳って書いてある。この間は50代が初老って聞いたのにな。

では今日はこのへんで。