これから病院へ行くけれど、これも1つの縁だな。

一年に一度、演奏会のお誘いを連絡して来る友人がいる。とは言っても、本当に相手の演奏会のときにだけ、ほんの少し状況を聞いたり、元気かな?という程度なのだが、そうやって一年に一度でも思い出してくれて、声をかけて来るというだけでありがたいなぁと思う。こちらは冬になるとふと思い出すが、こちらから声をかけることはほとんどないのが実情だ。

別れた自分のパートナーの仕事の付き合いで知り合った人であるが、それでも20年以上の付き合いになってしまった。縁とは不思議なもの。自分がパートナーと別れてしまった後も、縁が切れずに続いている。人が何でどう繋がって行くのかなんて、本当にわからないものだ。結果的に縁を繋げていなくなる人のように、どこかのかすかな接点を一点残したと思ったら、そのままいなくなる人もいるわけだ。一人が二人となり、また欠けて、残った一人が自分と二人となり、またその先へ繋がっている。

だから、自分が出会った人というのは、目の前が誰かであるかだけではなく、その先の誰かとの出会いのためにある縁もあるのだ。目の前の人がどうであれ、その先のずっと先の縁のために存在することもあるのだから、邪見に扱うなんてもったいない。例え嫌な奴でも、ほんのちょっと縁を繋ぐ点の人で、すぐ去る人なのかもな、と構えていればいいのだ。いつだってその先でいいじゃないか。楽しみになるゾ。

これから先日受けたエコー検査の結果を聞きに病院へ行く。たぶん良性の腫瘍と言われているところを、希望してエコーや病理検査等を受けている。ある程度断定が出来ないと安心のために納得出来ないからだ。今日の結果を聞いて、良性でも手術を受けるつもりでいる。やることは恐らくほぼ同じだろうと思うが、もし悪性でした~ということなら、これからやる手術も気持ちが違うのかもしれない。今はひとまず穏やかな気持ちで病院へ向かうことが出来る。ひとときの幸せかもしれない。悪性だったら、あのとき希望してエコー検査受けといて良かったとは思えるし、どちらにしても何もしなかったときよりも不安の全体量が少ないと思う。気になったら、出来る限り自分のために時間を割いたり、お金をかけるのを惜しまないようにする。自分の気持ちほどどうにもならないものはないからだ。何かやれることがあるうちは、やってしまって不安を取り除く。そういう選択がいい。もやもやしているより、動いた方がいいんだなぁ。

ということで、今日も時間が来てしまった。病院へ行って来ます。では今日はこのへんで。