昨日、家族が一時休暇で数時間帰宅した。4時間半ほど過ごす。どうやら少しホームシックになっているようだ。職場の改善が進まず、勤務体系等の理由で離職者が多くなっているらしく、自分の身にかかる負担が大きくなって来たから、切実に今の職場を続けるか考えているようだ。
一般的な会社勤めのイメージとはかけ離れていて、労働基準も違うような仕事だから、こちらから見るとそこに望んで行くというのは自分としては少々不思議でもあったが、見ていて面白みがあった。いろんなハプニングが起こり、それを解決して行く。聞いていると本人は大変なようだが、こちらは普段起こり得ないことが起こっていて面白い。
実際にそばで見ていないのもあって、当時は危険だったりすることも、話を聞いたときにはもう過ぎたこととなっていて、ヒヤヒヤしなくて済んでいる。ただただ面白い話としてとらえて来た。それが仕事を変えてしまって、無くなってしまうのは、もしかしたら今後面白い話が聞けなくなるということになる。それはちょっとつまらないなぁと正直思う。人生は波乱があってこそ?だ。まぁ、それが死に直結してしまったら元も子もないので、安全に暮らして欲しいとは思う。
こちらが聞いていて思うに、一時的にお金がどんどん貯まった理由もあって、お金と引き換えに自分は今こんな仕事をなぜやっているのだろう?時間やこの生活と引き換えに働いてお金だけ増えていて、本当に価値あるのだろうか?そんなにお金が必要な生活もしていないというのに、・・・などと考えてしまっているようだった。どっちみち、ずっとは続けないつもりでその仕事を選んだようだから、今辞めたとしてもそれが少し早まっただけかもしれないな。
自分の人生は自分のもの。家族が選ぶ選択はどんなものかなぁ。自分自身で選択が出来るということだけは信頼している。家族と暮らして来て、今まで自分にとって負担が少ないのはそのことが大きい。自分の事は自分で決める。約束事にして来たわけではないが、家族がそれぞれの意思を持って生活してくれたのは親としてとても楽だった。
より良い選択を探すのを人任せにしたとしても、決めるのを人任せにしない。と言ってもほとんど本人たちが選択を探し、本人が決めて来たというのが本当のところ。だから、それが家族本人に出来ないときは相当参っている状態だ。心身ともに病気になっているときだろうと思う。そんなときは力を貸すつもりだ。自分も含めてどちらも参っていたら、きっと一緒に参っているね。まぁ、そういうときもあるさ。そのときは元気な誰かが力を貸してくれる。
ここで、元気な誰かが力を貸してくれるなんて、そんなわけないじゃないか、と思った人はいるだろうか。もし、そう思ったのなら、きっとそうなる。元気な状態だけれど、すでに周りに誰もいないと思っている証拠なのだから。だから元気なうちに早急に力を貸してくれる人を見つけておくことだ。話しやすい人なら誰でもいい。困ったなぁという言葉を聞いてもらう相手だ。でなければ、せめて公的機関でもいいから知っておく。人は人生の何回かは、とんでもなく弱るときがある。弱っているときは判断力が鈍る。悪い人に引っかかってしまうこともある。そうならないためにもいた方がいいな。
今回、来月の長い休暇前に、短い時間であったにもかかわらず家族が家に立ち寄ったのは、「自分が参る前に、話せるうちに、どうしたらいいか考えたいから話す」ということだろう。判断力が鈍る前に、元気なうちに予想して、出来ることはないか準備する。それをやってんだ。ああ、なんだ。まだ元気なんだな。話の内容より、今の状態がどうなのかが大切。家族は晩御飯とケーキを二つ平らげて、仕事場に向けて戻って行った。
では今日はこのへんで。