小さなことが引っかかって、何となく自分はダメだと思ってしまうのだ。

心に引っかかるものが無い日々。穏やかな日なのだ。PCに向かっていないで、ここのところ、家で昔見たことのあるアニメをワンシーズン一度に見て過ごしていた。それを見た後の夜見る夢が影響されていて面白い。ストーリーが同じ、とかではないが、自分がそのときに受け止めた感覚、感情、気分に近いものが、全く別のドラマとして夢の中で描かれている。人は似た感覚までも模倣したがるのか。影響されやすいんだな。

普段周りの人と同じだなぁと思うことが少なくて、影響されないのかと若い頃は思っていたが、全く逆だろう。きちんと自分なりに影響されている。同じようになるというのはちょっと違うが、一度は深く取り込んで、身に当てはめる。でも結局嫌なものは暫くするとしっかり拒絶か取り入れるか選別しているなあと思う。自分に要る要らないをはっきりして行く。違和感やズレ、何だか違うな、と理由はわからなくても、取り除く方向へ向かう。自分が明確に意識出来なくても無意識での行動が物を言う。人って上手く出来ているなぁと思う。

どうしたらいいかわからないんだ、というときは、人ってその場に留まってしまうのだろうなぁ。足が動かなくなる。そんなことは人生の中で何度でもあって、仕方の無いことだ。向かいたいところがないのだから。選べなくなっているときは、全く関係のなさそうなことを無心でやるのがいいのだろう。迷っている最中は、自分の知っている狭い範囲の中でだけ選んでいることに気が付かないからだ。何でもいいから、自分の体が動くところや、気持ちが動くものへ動いてみるのだ。そうすると、今まで自分が知らなかった選択肢の範囲を広げられる。

ああ、若いときはだからこそ、行き詰まる。だからどんどん違うことをやってみることだ。そのときも、嫌なことを選ぶ必要はなくて、好きなことをやればいいのだ。よく言われる「逃げてもいい」というのは、逃げ続けると視野が広がり選択の幅が広がって、選びやすくなるからだと思う。同じことをやり続けて、突き進んで深くなるのも同じこと。違うものが見えて来る。嫌でもやり続けるのと嫌だから逃げることに大差はないだろう。年を取っても同じこと。自分の凝り固まった視野意外に生きる道は無いと思い込んでいないで、違う選択があることを知ると行き詰まった緊張も少しほぐれる。逃げたことがない人は、とくに逃げてみるのもいいのだよ~。

自分も何だか人生つまらないな~と思ったら、死んでるみたいに生きればまずはOKと思っている。厳しい検閲官みたいな態度の自分自身が「それはダメだよ」とすぐ言って来るけれど、「じゃあ、ダメな生き方を全うしよう」と試みて来た。自分の中のもっともダメで底辺な生き方を実践する。「人の」じゃなく、「自分が」思う底辺の生き方。そこでも確かに自分は選んでいる。細かなことだけれど、これはイヤだな、これは心地いい、別に悪くなさそう‥等々感じるし、やっぱりしっかり自分で選んでいる。投げ出して生きているわけではないのだ。

周りの人が言う「底辺な生き方」を見て度々思ったことがあるのだが、自分から見たらかっこいい生き方に見えたり、豊かに見えたり、羨ましく、贅沢に見えたりするなぁということが多かった。葛藤し悩んでそれでも生きようとしている人なんて、足掻いている姿が素晴らしい。そんな人を見ていて、はたと気が付くのだ。自分がとんでもなく底辺な人生を歩んで生きていると思っていても、意外と自分の底辺というものは、人から見たら大したことないんじゃないかと思う。自分が思っているダメさ加減や程度は、人から見たら大してダメじゃないってことなんだよなぁ。

何でこんなことを書いているんだ?たぶんダメダメな人生を自分が送っていると思ったからだろう。今朝の二度寝のせいだろうか。ゴミを捨てに行かなかったからか?まぁ、たぶんそうだろう。最初に書いた通り、アニメを全話分を一度に見ながら編み物をして過ごした。YouTubeを見ながら朝食を取り、昼は節約しようと思った矢先に誘われるがまま家族と外食をした。そう言えば布団を干して部屋の掃除をして、めずらしく要らない書類を片付け・処分、それと30分は運動したなぁ。食材の買い物をして来た。休日の一日だったらそれでもいいか。ブログを書いていないことが気がかりくらい?たったひとつの気がかりがあっただけ。今日はこれでブログも書いたし。もう、ダメダメじゃないな。

では今日はこのへんで。