ケーキを食べ続けるために、どれだけ自分事として具体的に考えられるか、だな。

なんと、本当に履歴書を書いてみた。自分でも真面目に向き合っているのは久しぶりである。こうやって履歴書と向き合ってみると、自分ってどんなことをしていたのか、どんなことをやって行こうと思って生きて来たのか、垣間見える。頼まれてやり始めた仕事がほとんどで、自分からやってみようと思って続けた仕事はちょっと大変だった気がするが、振り返ってみると、どこでも何だか楽しかったり面白かったことを思い出す。ただ辛いことを忘れっぽいだけかもしれないが、それならそれで結構幸せな人生だろう。

昔の履歴書用の写真が残っていて、それを見ると若いなぁと思うのは、何より表情が違う。少し挑んでいるというか、勢いがある。今はどちらかというと、とても柔らかい表情だ。自分が望んでいる自分像や人に見せたいもの、どう見られたいかがかなり変わったのだろうと思う。生き方は顔に出るのだろうなぁ。今になって、仕事をするときの自分の顔というものを知ってしまった。どれも嫌いじゃないけれどね。

誘われた職場に入るのに、今の段階で履歴書が要る、とも言われていないのに、自分で履歴書を書きたくなり、書いてみて思った。仕事をするにあたって、いつもそれほど真面目に「仕事をする」ということに向き合って来なかったなぁと思う。誘われて何となくやって来たことも多いし、自分から決めて入った仕事も、どこか必要に迫られたというよりもやった方がいいだろう、というような感じであった。稼ぐということに本当に無頓着だった。

まぁ、今回もお金を稼ぐということを考えると、未だに無頓着なのかもしれないが、自分の心が躍るような好きなケーキを作る店主から「お金を頂く」ということを考えたら、手伝うのはこの自分でいいのだろうかと真面目に向き合ってしまった。こうしている間にも、実は「他の人が入ってくれたんだ」ということもあり得るが、それはそれで構わない。大体自分は、「この仕事は自分でなくちゃダメなんだ」というどこか押し付けガマシイことを普段はしてしまう方であるが、そんなことを店主に対して思わない。店主の作るケーキに自分が関わるなんて・・・恐れ多いのだ。

だから、今の自分を知ってもらうために履歴書を書きたくなった。履歴書を書いて自分を開示し、相談し合ってお互いに長く続けられるように努力して行けるかどうか。そんな当たり前のことをどうやら向き合いもせず、自分は今まで仕事をして来てしまったようだ。ただ自分がそのとき出来ることをして来たまで、だ。それ自体はそんなに悪くないと思うのだが、自分や仕事が成長して行くこととか、もっと出来るようになること、より良くなるとか、それらを自分は望まなかったし欲しなかったなぁと思う。その職場や仕事そのものに愛着が湧かなかったということかもしれない。今になって、まさか自分が美味しく食べているケーキに関わることを考えてみて、初めてその「仕事」というものは大事なのだ、というのを感じたのだと思う。

もしかしたら、関わった仕事が大きな枠組みの中の一部の仕事というものばかりで、何をやっているのかわからず、自分にはほとんど意味を持たなかったのかもしれない。まぁ、きっと大部分の仕事はそんなものなのだろうねぇ。本当に小さな歯車みたいなものをどれだけ大事に考えてやって行けるかだ。ケーキの店主がやっていることも、世界全体から見たら本当に小さな小さなものだろうと思う。

だけれど、自分がどう感じているかは大きく影響する。ここ数年、困っている誰の手をつかむか、というのをずっと考えていたけれど、もしかしたら店主の手をつかむのが今の自分にとって一番いいのかもしれない。3か月先の予定の中で仕事に入れる日を確認したり、再来年のボランティアの任期も更新するか考えてみたり。どのくらい自分が店主の期待に応えられるか、考えてみた。自分の体力も気力もどうだろう。可能な日数は?時間は?足を引っ張らないように出来るだろうか。ずっと動けるか?途中で辞めたら、そのときは大変だぞ。考えることはいっぱいあるが、嫌な気はしない。

では今日はこのへんで。