「心の旅」は今どのあたり?という愚問を自分にしてた。

50代になって暫く経つけれど、自分がもっと若いときに思っていた自分より、若いんだなと思う。確かに若い人よりはもちろん年を取っているけれど、だから何なんだろう?とも思う。若いというだけで変化にも成長にも柔軟だろうと思うし、見ているだけで可愛いと思うのは確かだ。何も持っていなくて当たり前で、考えも固まっていなくて、身が軽い。何が出来るとかもまだわからず、目標も揺れ動いているような。何事も新鮮で面白い時期。書いてみて、自分が思う若いことの良さはそんなところかなと思う。

確かに若いときはそれが良さだと思われても、この年齢になっていれば「えっ?」と大半の人に思われるから、今の自分の年齢でその良さはどちらかと言えば悪いものになっている。しかもタチの悪いことに、生きて来た年数と共に、どんなに目の前にあるものが変化して行っても、凝り固まった考え方が一つ二つは定着していて、心と共に身が重い。何か試しにやってみると良いなと思いながらも、新しいこととは?と考えると動かない。だから新鮮なものが減っている。わかった気になってしまうのだ。たぶん本当はわかっていないのだろうけれど、自分の中で面倒くさいことは、きっとこうだからなぁ・・・とするすると自分勝手に理由付けて片づけて、新しいことに挑戦をしない。動かないね~。馬鹿だねぇと思いながら、自分を見つめて振り返っていても、あーだこーだと動かない自分に有利な理由付けをするのは上手くなってしまった。とほほな年の功だなと思う。

揺れ動く気持ちや一体自分は何が出来るのだろうと思うことは正真正銘の若いときから変わらない。それは自分に限らず、周りの人とも話をして来て、人ってずっと揺れ動き続けるものなのだ、というのがよく分かって来た。若いときの常識なんて、ずっと壊れっ放しで変化するもの。そんなものに合わせてずっと生きていられるほど、人の世界は同じじゃないなぁということくらいは、今受け止めている。でもそれ自体も、決まっていたら楽なのにとも思う。これとこれが出来ます、なんて一瞬で変化するから面倒くさいんだよなぁ。まぁ、実際は何か出来ることなどを目指さず、出来るかどうかもわからないうちにやり始められるかなのだろうなと思う。

ああ、何を書いているのやら。自分が最初に書いた自分自身に向けての「若い」は、たぶん見た目かなぁ。鏡を覗くと、何だか若いねぇと思ってしまう。心の中と外見がズレているかもなぁと思うが、きっと外見が心に追いついてくるのも時間の問題だろう。それとも、自分で思っているより年齢相応なのか。別にどうでもいいことを書いた。

では今日はこのへんで。