嫌だ嫌だも言えるうちに言い、言うことで、言えなくなるような日常にならないようにしておく。

真夏のような暑さと日差しがあったかと思えば、急に秋の涼しさに困る。涼しいを通り過ぎて寒い。半袖もそれほどもう使わないはずだったが、半袖を着てその上に長袖ジャージを被る。食事をすると相変わらず体が汗を吹き出すから、脱いだり着たりを繰り返す。今の涼しさだと、洗濯物が乾くのを夏の日差し程には頼れなくなるから、なるべく薄手の物を着て、その上にジャージを重ねる日々。洗ってもジャージならすぐ乾くし。季節が変わったら洗濯物を減らさないと部屋中物干し場になってしまう。夏の気候は洗濯物がすぐ乾くからありがたかったけれど、さすがに暑過ぎた。今度は寒いと感じる気候になるのか。少し秋が長いといいなぁ。温暖化だから冬が無くなるのかもしれないが。

ところで、ニュースで弾道ミサイルの映像が流れているのを目にした。鮮明な光がいくつも頭上を流れて行くんだなぁ。花火なら綺麗だね、と思って楽しめるのに。あの光の先には死が待っていて、それを望む一方の人がそのミサイルを打つのか。いや、双方が死を望んでいるよな。双方が同じような考え方をしてそれを基に行動しているから、報復という考えが当然としてそこにあるし、結果もわかっているはずなのに、やり続ける。最後何もなくなってしまうのはわかっているのになぁ。きっと本人たちが虚しくならないのは「意味があってやっている」ということなのか。意味を感じられる人たちが果たして生き残る?結局その意味を感じる一部の指揮を執っている人たちは生き残り、関係ない意味ないと思っているような人がたくさん死んでしまうのでは?と思う。怖いことだ。

戦争なんてバカバカしい、と思ってしまうけれど、自分はそう思って見ている人だから、戦争が起こったら訳も分からず簡単に命を奪われてしまうところにいるのだろう。割を食うのは私のような人だ。戦争はだから自分にとって、とことん恐ろしい。誰かが言っていた通り、始めるのは簡単だけれど終わらせるのは難しいしな。そこだけの場所で終わるものでもないし。戦いの火の粉も飛び火させて利用する人がいるだろう。知らないうちに自分の街中にミサイルも落ちて来るのでは?やめて欲しい。

個人の中だけで意味のあったはずのことも、戦争が始まり、被害を受けて行く人が増え憎悪が増える。それが多数になって行くと、いつの間にか戦いが意味のある総意になってしまう。きっとあっという間だ。その頃にはどんなに何か言っても、戦争の勢いは止められないよなぁ。

そうならないために、緊張感の中で今は止めようと動いていてくれる人が、今はまだ世の中にいてくれている。感謝だ。せめて、今自分に出来ることは「戦争はイヤだ」と言うことだ。ありがたいことに、まだ自分が傷ついていない、まっさらな状態で素直に言えるから。もし生き残って傷ついて、自分の周りも傷ついて、憎悪が出て来たら、たぶん言えなくなるだろう。だからこそ、「私には戦争をする意味があるのだ」と言う人が増えて、それが総意になる前に、戦争にならないように「戦争はしないで」「戦争はイヤだ」と言っておきたい。

では今日はこのへんで。