沼の淵止まりとすでに沼にハマっているのとが同じ諦めの境地なのですか?

ピアノのレッスンに行ったら、めずらしく私の前にレッスンに来ている人がいた。新しい生徒さんだ。先生から聞いた話ではとてもやる気のある人で、大人になって最近始めたけれど練習が進んでいるとのこと。ただガチガチになっていて、目を使って鍵盤にくぎ付けになってしまうらしい。今はそこのところをいかにほぐしながら、手の感覚で弾けるように、と指導しているのだと言っていた。

きっと私も、先生のところに来たばかりのときは、とにかく緊張していたよなあと思い出していた。他の先生のところと並行してレッスンを受けていたが、他の先生のところで固まってガチガチになっていたのを今の先生のところで緩めてもらった経緯がある。今も違う意味で緊張はするけれど、「間違ったことをやっている」という気にはならない。常にやってはいけない演奏をしていないだろうか?と他の先生のところではビクビクしていたからガチガチだったのだ。自分の音楽って何だっけ?みたいな、弾くって楽しいんだっけ?とか、弾くことにちょっと抵抗感が出ていた時期でもある。無理して譜面を追って弾くばかりで、怪我もつき物だった。

あの頃は「先生の音楽」に合わせて弾く、みたいなことを強いられていた感じがする。少しでもそこから外れないようにドキドキしながら、先生の顔色伺いながらやっていたような。怒られて伸びる人ではないとは思うし、それよりも今となっては常に投げかけられる言葉でどこか成長の頭打ちされていたような気がする。「体が細いから」「指が」「腕が」「大人だから」という言葉で「仕方がない」というのが先生の口癖のように聞こえて来た。演奏はここまで止まりか・・・と思う日々。諦めろ。今より上手く演奏なんて出来ないのだから、と言われていたようなもの。それでも自分がどうしてうまく弾けないかが納得出来なかった。何か打開策がないか、探す日々だった。

往生際が悪い性質のおかげで、今の先生のところに転がり込んで、一から知りたかった「弾き方」を教えてもらえた。楽譜やこういう音楽、こういう弾き方、みたいなものを提示してくれる先生は世の中にかなりいると思う。けれど、それに合わせて見様見真似で出来なければ才能がない、と見切られる感じでもある。どうしたらそういう弾き方が出来るのか、体の使い方がどうなっているのかを今の先生では教えてもらえた。もちろん、他人の体だから感覚のヒントでしかないのだろうが、感覚がどうなっているか、どんな状態かを事細かに応えてもらえたのは大きい。

模範でサラッと弾いてここにはこの音を出して、と言われても弾けない。だから教えてもらうんじゃないのか?言われてその音を出せるくらいだったら、CDを聴いてとかコンサートの演奏を聴いて、そのまま弾けるはずだろうよと思ってしまう。演奏が素晴らしい先生や音色が美しい先生というのはたくさんいるが、どうやってその音が出るのかわからないけれど身に着いているから教えている人というのは多いんじゃないかなと思う。小さな頃から練習に練習を重ねて来た人で、知らない間に素敵な音が出るようになっていた、みたいな人は教えられる物事がきっと別にあって、体の使い方や弾き方の教えを乞う相手とは違うのだなと、今なら思う。それさえよくわからないまま、ただただ難しい楽譜を学ぶ方向へ進んで行っていたのが間違いだったのだ(様々な音楽にたくさん触れるという意味では役に立っていると思うが)。

ピアノを鳴らすとはどういう体の使い方をするのかを今の先生のところで、じっくり学んで来た。しかもいい状態で弾くから、怪我も皆無になった。音に集中することも出来る。体の使い方と言っても、見た目の動かし方に注目するのではなくて、動いたときの自分の感覚を知り、身に着けて行く。面白いことに、体は心地良い動きの方を覚えるのだ。だから、頭で理解して覚えるというより、レッスンで体験したことを体がすぐに覚えていた。メモなんかしなくても体が忘れず、家で同じように弾けるということに何度も驚いた。悪い弾き方は忘れて行き、全然思い出せないことも多くなった。

今は弾くことが出来るようになって来たと言ってもいいと思う。ただいい音を鳴らすこと、いい状態で弾くことを身に着けて来た今日のレッスンでは、どう弾くかを考えて行く時期なのだなと新しい段階に来ているのを実感した。大変な段階だ。簡単に言うと、どう素敵に弾く?というところなのだろう。やっとピアノを弾くための準備が整って来ました!というスタートラインに立った気がする。自分は何らかの音の深まりに気が付いてしまったようで、今の先生から今日もまた「諦めてください」と言われる。私はクラシック沼にはまっているのだそうだ。一度沼にはまった人は抜け出せないからね~とにこやかにされる。随分違うよなぁ。諦めの境地も場所が違えば楽しみしかないゾ。好き好んで泥を被って沼を進むカモノハシが浮かぶ。

では今日はこのへんで。