最近言葉として、明確に出て来たことがひとつある。自分らしく生きることに一生懸命である必要なんてない。誰もが残念なことに、すでに自分らしくしか生きられていないものなのだから。もし、今の自分に嘆くならば、変えるしかないだろう。そんなことを今更ながらに気が付いて、ホッとしている。だから、今日も性懲りもなくブログを書いたりしているのだ。
今日は小学生相手のボランティアに行く予定だ。障がいがある人たちが集まって、お菓子を作っている作業所のようなところがある。そこの人たちに教えてもらいながらクッキーを小学生たちが作るのだ。実際に売っているクッキーの作り方とは違うが、ノウハウは教えてもらえるとのこと。どんな人が教えて下さるのか楽しみである。すでに小学生の一人が欠席すると聞いていたので、空いた席に大人が一人参加出来ることになっている。やってみたいと言っていたボランティアの仲間の一人が参加するから、それをただ見ているだけになるかな~。そのやり取りをじっくり今日は見学していようと思う。
今日クッキー作りを教えてくれる作業所に勤めている人の賃金は、確か相場よりもかなり高かったはずだが、未だに最低賃金までにはなっていないと聞く。作業所などでは売り物の価格が安いところが多い。一部、ニュースなどで話題になっているところは、お客も多くなって売れているし、価格も高くなっているから、その分勤めている人の給料に反映されていて、生活が出来るようなことも聞いている。作業所で作っているからと言ってショウモナイ物を売っていることはないし、食品ならちゃんと基準を守って作っているのであるのだから、もっと世の中に合わせるという価格でいいのでは?と思う。安いから買う、という人より、それを好きで買っている人がいるのだから、もっと適正価格でやって欲しいなぁ。
値段を上げろ、っておかしな話だろうか。売れなきゃ困る。それはそうだ。値段を上げるなら、結局のところ、いい物を作るしかないんだなと思う。もしかしたら全体の競争に一緒に入って行かなきゃならないか。全体の競争に入るけれど、戦略は異なるものでいいのだ。強みを生かして出来ることを、だ。と言っても、ここで書いている私になんのアイデアもなくて、申し訳ないのだが。無いところに仕事を生み出すのが得意な人たちが参加してくれるといいなぁ。
仕事って、社会に役立てばいいのだから、誰でもが出来るものを多くして、働くことが出来たらいい。以前、こんな話を読んだことがある。元々はお金を一か所に留まらせてはならない、というようなことだったのだが、お金をどういうふうに遣うか、どんな仕事を作ったらお金を生かすことが出来るかを考えさせられた話だ。日本の貧しい昔の村を想像してみて欲しい。
村が災害にあってしまい、農作物も作れない年に誰もが生活が苦しい中、村のお金持ちが仕事を作る。作った仕事としては、大きな道具を使わずに、手で拾った土や石を運ぶというものだった。本来なら、道具を使えばすぐに終わるような仕事。けれど道具を使って急いで終わらせるのではなく、いかに弱く小さな子どもでも簡単に出来、長く時間をかけてというものだった。村でたくさん子どもを抱えているような貧しい家ほど、家族総出でやれば稼ぎが良くなり、村がその大変な時期を生き延びた話だ。
そのとき、働いた人にお金を渡している。もちろん、ただお金を渡して救済する方法もあったのだけれど、それでは暮らしが長く続かない。何かあったときにただお金持ちに頼るだけになってしまうし、助けられただけの村人とお金持ちの関係も悪くなる。プライドもズタズタだ。村としてダメになってしまうから、お金持ちは考えて、誰でも出来る仕事を作って自分が持っているたくさんのお金を遣ったのだ。
ちょっと話もズレそうで、長くなった。言いたかったのは、誰でもどんな人でも多くの人が参加出来る仕事というもので長く安心して暮らしを保てるというのがいいなあということ。弱かったりそれぞれ何か欠けていると自分で思っている人だとしても出来ることはないだろうか。まあ、みんなそれを一生懸命頑張って考えてんだよ~と言われそうだが、ちょっと一旦落ち着いて深呼吸しよう。ふぅ~。
今日行く作業所のクッキー作りで言えば、綺麗に仕上げることがなかなか難しい、と言われていたなぁ。だったら、不揃いでいいじゃないかと私は思うのだ。均整の取れた工場クッキーを作るのではなく不揃いばかりが詰まったクッキー。今ある方向へ考えるのではなくて、どうせだったら反対方向で考えてみよう。もしくはズレまくって考えたら、いいモノ出ないかなぁ。
では今日はこのへんで。