怠け者という言い方はタブーなのか、今はほとんど聞かなくなったが、私はたぶん怠け者なのにナマケモノと言われていないのは時代のおかげだろうと思っている。何かにつけて物事を他の人はやっているのに自分がやらないことに対して、ナマケモノなんだとは言われないのだ。仕事や学校を休んでも、理由があるんだね、と言われてナマケモノとは言われない。たぶん自分が小さな頃は他のほとんどの人がやっていることをやらないでいると「ナマケモノなんだよ、あいつは」、と言われていたのを目にしていた。今は大っぴらに言うことはないし、なぜだろうなぁと思っていたが、他人を馬鹿にした否定的な言い方をすること自体がタブーとなったからかなあという答えに行きついたのだが、どうだろうか。
子どもの頃はソレをやらない理由があるのとないのでは相手の対応がこれほど違うのだなぁと思ったことが何度もある。たぶん「言い訳上手」ってことなのだろう。理由をいかに述べるか、というところで大いに頑張って相手に伝えるだけで、その後の難を逃れることが出来ることが多かった。何かをしない理由があること、何かをしたくない理由があること。それを上手く伝えて、相手が納得しさえすればいいみたいだった。
今では少し違って、特に理由を述べなくても相手が勝手に納得してくれるようになった。まるで「ナマケモノ撲滅運動」でもやっているかのようだ。怠け者ではない、なぜならこの人は・・・と相手が自分にとって都合のいい素敵な言い訳をたくさん作ってくれる。エッ、そんなつもりはないのに、自分ってそうなの?などと思っても、自分は相手が言い連ねてくれるどこか高尚な理由を全面否定し切れずに今も過ごしていることが多い。
思い違いなんだよね~とわざわざ否定しなくてもいいかと思う。みんな他人のことをとやかく言いたくない、自分が腹を立てたくないのだ。相手が実際どんなに納得が行かない本性を隠し持っていても、目の前の姿が何となく整っていれば、多様な生き方があるのだからと思って自分の方が納得して不満を抱えなければOK。いかに自分が腹の立つ相手に翻弄されずに生きるかを頑張って模索している気がする。まあ、誰もが本性隠し持って生きているのは当然で、相当悪い行為を表面化させないでいればそれでいいのだと思うのだが、結局は小出しにして「どこまでだったら許されるのか」を試しているようなものかもしれない。
いや、試している人はどちらかと言えば少ないかもなぁ。許されない、と思っている人が多数なので、たまにポーンと大きく試した人がいたら「おお、やってもいいのか~」と追従して行くかのようにもてはやされるような。そんなもんか。
大なり小なり、昔からそんなことはあって、きっとそれほど変わったわけでもなさそうだな~と思うのだが、違うのは普遍的な「ちょっと変だな」と思う率直な感覚まで鈍らせて来ちゃった感があるなあと思う。怠け者はナマケモノだよなぁ。きっと誰も大っぴらに指摘なんてしないし、ラクに生きられる世界ではあるなぁ。いいのか。本当に?という問いを今の自分に問いかけている。
人生の後半戦、いわゆる「堕落して」生きてもいいかなぁと思っているのだ。もう甘やかしてくれるパートナーとは出会わないと思うから自立&自律ばかり目指して生きて来たけれど、なんだかねぇ。つい、自分を甘やかして生きていてもいいんじゃないか?と思ってしまった。ナマケモノが王道を行くだけのこと。いつしか同じような仲間がたくさん増えて行って、巨大になり・・・とかなったときは、高尚な理由をつけてもらえるのかなぁ。いや~、迷惑を被ったら即、腹を立ててもらってイイです。それこそ当然で。
では今日はこのへんで。