昔の生活が簡単で、今っぽい生活がソグワナイだけかもな

手を冷やすのがいいと聞いた。この夏、というか今日暑くなる。外出先から暑くなって帰って来たときとか、暑さにやられて頭がぼーっとしたときに、体全体を内側から優しく冷やす方法をボランティア先で聞いた。両手を1分ほど水に浸すのだ。帰宅時に手を長く洗っていたりするときにも感じることがある。手の先から少し冷えた血液そのものが自分の体の中を循環して内側から冷やされて行く。手は簡単だ。急激に冷たい物を飲んだり頭を冷やしたり、エアコンなどで体全体を冷やすのは、どこか体が驚いてしまうので自分では苦手だが、ほんの少しの時間、手を洗面器などで浸すと穏やかに冷える。知っていても忘れてしまうので、ひとまずメモとして書いてみた。

こんな風に暑い一日の昼間も夜も、世の中が静かだ。みんながみんな、窓を閉めて、雨戸も閉めて、エアコンをかけているからだろう。個々の家から聞こえるはずの音が一切聞こえてこない。遠くに聞こえる電車の音でさえ、とても静かに聞こえて来る。町全体がひっそりと静まり返っている。

こんな夜を以前体験したことがある。東日本の震災のとき、計画停電に当たる地区に住んでいた。あのときは、町全体の機械音が急にすべて無くなったみたいにしんとした。灯りも消えた。電車が通っているようなところでは灯りが光っていて、自分の町へ近づくほどに暗くなる。突然どこかに線を引いたみたいに、その線の内側は光がない。人が生活して息づいているはずなのに、暗闇に入ったところは、音がそこから消えているように見えた。隣人もいるはずなのに、何も聞こえて来ない。家の中では目立つ冷蔵庫の音が消えてしまった。あまりにも静かなことに驚いた。生活音とは電気の音なんじゃないかと思った位だ。そのとき持っていた電池を使うのを惜しんで、手回しのラジオを聴いていた。これなんか、まさに電気の音。手が疲れて止まると暫く鳴って、少し経つと音が消えて行く。電気の音が鳴るだけで、何も鳴らないよりは暗い夜の不安が少し軽くなったなぁ。電気、ありがたや~。

その後、急にガスの警報機の灯りがついて、2時間程度の計画停電が終わったことを知った。冷蔵庫も唸り出す。いきなり際限のない音に囲まれた。すべてを確かめようもないが、様々な細かい、小さい音が複雑に重なって、あらゆる方向から届いて伝わって来る。ものすごい数の小さな騒音に囲まれている。けれど、普段は慣れ過ぎていて気が付かないんだなと思った。

そのことを今思い出して、よく耳を澄ますと、いろんな音がして来た。聞こうとしていなければわからないけれど、きっと実際は様々な雑音に囲まれているのだろう。もっと静寂がいいのか?別にそうでもない。ただ小さな雑音で、聞き取れない位の音がたくさん鳴っていると、たぶん体は反応していて疲れるのだろうなぁと思う。静かだけれど聞こえない騒音の中に住んでいるんだなぁ。静かに見えて、騒々しいとは。

夕方、風呂の水を変えようと思って、下水に流すのを止めて、バケツで汲んで家の周りと屋根にまいておいた。打ち水をして町を涼しくしようということをやっていた時期がどこかであったような。もうそんなことをやっている人たちなんていないのかもな~。湿度も急に上がってしまったり、むしろ暑く感じて全然冷えなかったりすることもあるかもしれないし。打ち水の正しいやり方と効果をちゃんと知っておくべきだったなぁ。

まあ、そんな心配をよそに、すでに周りの家の人は早々に雨戸を閉めて、エアコンをかけていたので、そのまま心置きなく水をまいていた。植物が水を吸うとそれだけで呼吸をするのか辺りがひんやりする。コンクリートも水をかけたところは冷えて、通る風が冷たくなる。一階と二階の間にある屋根が熱を吸収して熱くなり家が暑くなる、というのを聞いたことがあったので、水をまいたら今日はかなり冷えた。

水は貴重だから、使い古した水を再利用しつくす。廃棄してしまう物を使って出来るのだから、みんなでやったら町が涼しくなるかなぁ(シャワーだけの人もいるけどさ)。私だけがやっていることは無駄かもしれない。見かけはまさにハチドリの一滴みたいな姿が浮かぶ。焼けた森に自分の小さなくちばしで抱えられる最大限の水、だけど一滴だ。バケツを持っている私も地球からみたら、点にも見えない。きっと小さいな。意味ないだろう。そんな小さな水をまいている。

では今日はこのへんで。